2015年5月22日 森歯科医院 院長 森光伸
2015年5月21日 神戸市と明石市までドライブしてきました。この日も日差しの強い暑い日でしたが風があり清々しい一日でした。前回、湘南の美しいロングビーチに訪れたことを報告いたしましたが、今回は関西きっての都会的ロングビーチである須磨海岸を報告いたします。
須磨海岸のビーチでは水着や上半身裸で肌をやいている人達がちらほらおりました。琵琶湖のゆるい光で育った私はモグラ生活が続くと強い陽で殺菌されたい気分になり、時々海にでかけます。かといってマリンスポーツをしているわけではありません。どちらかというとマウンテンスポーツをしてきた私としては対側にある海ですが、憧れの存在です。
須磨から車で少し走れば淡路島がすぐそこにあるかのように近づいてきます。舞子に駐車すれば、神戸と淡路島のきらきらと美しく光る深い蒼色の海の明石海峡と航行するタンカーと雄大な明石海峡大橋を直下でみることができます。
私の少年時代と青年期の海水浴といえば、神戸の須磨(瀬戸内海)か福井(日本海)か和歌山県の白浜(太平洋)にいったと記憶しています。竹野海岸など近畿にも多くの美しいビーチはありますが、須磨は子供ながらに特別に華やかなビーチであったように記憶しております。しかし、どこも滋賀からは遠くやはり琵琶湖で泳ぐことが多かったのですが、今は琵琶湖で泳ぐ人は少ないそうです。
ところで、須磨は歴史的にも重要な拠点で、前回報告した鎌倉と因縁の地であります。1000年ほど前には福原(神戸市湊川)は平家の拠点地でした。後白河法皇の勅命で源氏が平家を追悼し、平家は福原から敗走して瀬戸内を流れていくことになります。源頼朝が派遣した主力部隊を率いる源範頼(頼朝の異母弟;義朝の六男)が京経由で福原を攻めている間に、別部隊を率いた義経(頼朝の異母弟;義朝の九男)が丹波経由で『鵯越』で有名な奇襲戦「一ノ谷の合戦」を開始し、平家を瀬戸内海に追い込みます。約1年後に屋島の合戦を経て、壇ノ浦の合戦で平家を滅亡させるのですが、須磨がまさにその敗走開始地で、明石海峡も通過したことでしょう。平家にとっては悲しい場所ですが、とても美しいところだと思います。
<芦屋近くの海から三宮を観る>
<須磨>
<須磨ビーチ> <灼熱の太陽と星>
<舞子浜からみる明石海峡と明石海峡大橋>